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住職雑記 供養のあり方

 墓石にカイロが張ってある話を聞いた。無意味と笑う者もあろう。しかし見えない対象への温かい親心である。千の風になってが流行って、お墓を建てるのは非合理的であるような風潮が蔓延してしまったが、合理化の美名の元に「心を養う行為」が失われていく様を情けなく思う。
 最近は散骨を望む者も多いが、宗教的に無執着の発想か?親鸞聖人は顕彰されたくないので遺骨は捨ててくれと遺言した。肥だめに捨てても怒らないだろう。現代人ではどうか。釣り好きで海、山好きで山。結局執着の延長である。日本の国柄には墓地も感性を磨く素晴らしい道場になりうる。塔を建てて供養すべし『法華経神力品』
 墓地不要論者はチベットの鳥葬を引き合いに出すが、彼らは徹底した宗教理解と信仰心に基づいている。日本人にはそれがない。同じものさしで、はかることからして違う。


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