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次世代への継承 夢のかたみ「Hokke.TV」

 先月23日、無事「いのりんぴっくin京都」が開催されました。このイベントを機に生み出された次世代への夢の形見「Hokke.TV」。画期的なインターネットテレビ局で宗教界類を見ない放送局です。

 草創期は試行錯誤の連続です。しかし、次世代にこの偉業を継承させるため身を粉にしてスタッフ一同活動しています。何も名を残したいためではありません。時間と空間をこえて共有できるパイプ作りをしたいのです。そして、そのパイプは果てしない未来から鎌倉時代まで繋がっているのです。
 

 お祖師様が数百年後の我々がお題目を継承していることにお喜びをお感じであろうように、我々の世代が終焉を迎えても「夢のかたみ」が生きていくのです。

~Hokke.TV 世界に法華経を届ける動画制作編成配信局~
http://hokke.tv/
 
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愛すべき郷土・学舎・日本・信仰。継承し次世代へ。

 皆様本当にお久しぶりです。本年は拙僧にとりまして充実した1年になりました。本年初頭には住職に就任して干支ひと回りしたことで、次のターンはどのように歩んでいったらよいかなど、若干の不安も含みながら、あれこれ考えておりましたが、そのような思惑など全く無意味。法友や檀信徒(菩薩団)、仏縁に導かれ、新たな世界への第一歩を踏み出すことになりました。
 
 
 その一端を挙げれば、刑務所教誨師や、「いのりんぴっくin京都」を通じて京都府第一部各聖との交流、菩薩団員とのさらなる結束、「Hokke.TV」通信員としての活動等です。どの役も、献身的に活動することは勿論ですが、同時に自己に生まれる慢心もつぶさねば務まらないところに意味があります。  
 慢心を諫めることは、布教にも重要な意味を持ちます。僧侶檀信徒ともに慢心を捨てて僧(サンガ共同体)として、各々の本分をわきまえ、お互いに敬意を表し、旦行礼拝行を実践することが、現代布教には重要な意味をもちます。そこから僧侶檀信徒間の「信頼関係」が芽生え、1つの教え、1つの御本尊を礼拝する同門の行人として存在自体を尊重するのです。これが異体同心です。どちらかの優劣を競うなどもってのほか。そのような所業は法華経者ではありません。

 
 話はガラッと変わりますが、拙僧は故郷を離れておりますので、無性に故郷が懐かしく感じることがあります。お年寄りが「なつかしやー」と思う時代は大抵幼少期ですが、拙僧もすでに例外ではありません。時折WEBで地元の情報を検索などしては懐かしんでいます。
 
 
 拙僧は幼少の頃から音楽や歌が好きなのですが、特に校歌や地域の愛唱歌、民謡などをこよなく愛していました。今でもほとんど歌えます。先ほど、なにげなくWEB検索すると、母校の小中高ともに学舎風景は変われども、時をまたいで同じ校歌を歌う子供の動画を発見、涙が取り留めもなく流れてしまいました。小学校の歌詞を見て涙!中学校で涙!高校で涙!です。横から家内は「いつものことか」とシラっとしていますが、小学校で教えていただいた板橋区愛唱歌「愛するふるさと」動画も偶然見つけて、また涙でした。この歌は当時何かの記念に作詞作曲された歌で板橋区内の公立学校で一斉に歌ったのです。当時、他校の友人も同じ歌を唱っていることに小学生ながら喜びを感じました。そして、その愛唱歌が今でも歌い継がれているのです。素晴らしい!
 
 
 拙僧の出身高校である都立板橋高校は在学中、日教組の巣窟、吹きだまり学校で、見事なまでに徹底した反日教育が平然と行われていました。皇族は呼び捨て。国旗国歌は全くなし。その校風で拙僧の反骨精神が培われたのだと思っていますが、今考えたらおかしな話です。あんな思想はカルトと紙一重だと思います。
 
 
 例えば、創価や正宗信徒は身延に行くと地獄に墜ちると信じ、「身延山はジメっとして有り難さを感じない。あれが悪鬼の住み家だ」などと主観だけで真剣に言います。しかし、逆に拙僧は何度となく富士大石寺に行きましたが、教義など中身はともかく、風光明媚な場所でした。富士山も綺麗で、富士の清流が流れ、アンバランスな建物こそあれ、整備されてなかなか良かったです。無論身延だって自然豊かでいい山です。これを客観的に感じられないほど毒されている有様が「マインドコントロール」であり「カルト」です。
 
 
 話がそれましたが、高校では国歌を歌うなど有り得ない空気、でも校歌はOKでした。これおかしいですね。幾世代にわたって同じ歌を教育したり、自治体がが愛唱歌を区内公立校に歌わせるのも価値観の押しつけになるのでは?ここに国歌反対派の限界を感じます。国歌に罪を背負わせるというカルトです。私は理解できません。

 
 拙僧は逆に先人も現代人も同じ価値観を共有することに喜びを感じますし、もっと特化して言えば、昭和生まれだということですら誇りを感じます。先の大戦で志し半ばで亡くなった方が昭和○○年までしか意識を持てなかった。私はその後○○年生まれ。見えない先人と会話しても、「そうか。その後昭和は64年まで続いたのかぁ。君は49年生まれか」そんな声が聞こえてくるようです。
 
 
拙僧は昔から以下の夢を何度も見ます。
【透き通るような青い海。雲一つない青空。真っ赤な夕焼け。綺麗な景色に感動しながらもそこは戦場。早く海の向こうにある日本に帰りたい】

 
 拙僧が僧侶を志した理由の一つに、このような無念の思いを抱いた英霊の鎮魂が含まれていると常に考えているのです。たまたま、身延山日蓮宗信行道場で、総本山英霊施餓法要の金座を任されたときには、法悦、涙をこらえ法要に出仕しました.

 
 硫黄島には今でも多くのご遺骨が滑走路のアスファルト下に埋まっています。戦争末期に本土爆撃を防ぐ一心で非戦闘員が多く硫黄島に出征、自決を許されない戦闘をしました。時間を稼いで本土の家族を守るためです。米軍は硫黄島を奪取して滑走路を早急に建設しB29を離陸させたかった。よって、死体の上にアスファルトを敷いたのです。いや、硫黄島だけではない。多くの先人が帰国を果たしていない。 

 
 お寺でも過去帳を見れば、数多くのご先祖様が亡くなっています。顔も分からぬご先祖様。しかし、同じ姓を名乗り、同じお寺を共有し護持し、同じ御本尊を礼拝する。この連続性に涙が止まりません。
 お寺でも歴代上人へのご回向をしますが、特に初代住職は回向文で必ず読み上げます。物事を動かし始めるエネルギーはとてつもなく力のいることで、そのことへの敬意かもしれませんね。
 

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いのりんぴっく in 京都


今回は、菩薩団が関わっている【いのりんぴっく in 京都】という
イベントのご案内です[るんるん]

以下、寺庭婦人blogより転載いたします。



photo[1].jpg


先日もご案内しましたが、【いのりんぴっく in 京都】に関して私に出来ること、
何か力になれそうなこと、を考えたときに私的応援ホームページを作成することにしました[ぴかぴか(新しい)]


そして今現在、新しい情報があれば随時更新中のHPがコチラです[左斜め下]

    [かわいい]http://inorinpic-in-kyoto.jimdo.com/[かわいい]



当日開催されるイベント情報や、36団体が出店する鎌倉の市で販売されるもの、
京都の老舗から各地のB級グルメまで取りそろえたフードコートなどなど、
皆様に分かり易く作成することに努めています[わーい(嬉しい顔)][るんるん]


入場料などは勿論ありません[exclamation]

出入り自由ですし、お子様連れでもお楽しみいただける子供ブースもございます[るんるん]

勿論、授乳室、オムツ交換をする場所もあります。

AEDも設置し、看護師が常駐しておりますので、安心してお越しくださいませ[わーい(嬉しい顔)][黒ハート]


日蓮宗の京都の寺院が中心となって準備を進めておりますが、
当日は宗派に関係なく、共に環境・平和・いのちについて考えていただき、
物故者への追悼の祈り、東日本大震災で亡くなられた方、
被災された方々へ、一緒に祈りを捧げていただければ、本当に嬉しいです[ぴかぴか(新しい)]


皆様のお越しを心からお待ち申し上げております



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反省

最近facebookに夢中になるあまりブログがとっても置き去りになってしまいました。申し訳ありません。書きたいことは山ほどございます。徐々にアップしますのでよろしくお願い申し上げます。

ちなみにfacebook名は  中紙賢孝日梵  です。

ご縁のある方は友人申請をお願い申し上げます。合掌
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許すまじ 大手葬儀社と僧侶の契約

先日知人の葬儀関係者からこんな話を聞きました。。大手葬儀社は宗派毎に専属僧侶を抱えているが、その内情です[演劇]

①僧侶ははじめに葬儀社に百万円単位で契約金を納める。(契約解除時に返金されない)

②葬儀社から葬儀の依頼がバンバン入る。

③僧侶は通夜葬儀をこなして施主様からのお布施30%を葬儀社に納める。

④僧侶は今後のことは近所でお寺を探してくれと言う。(葬儀社からの依頼を三回断ると無条件で契約解除になってしまうので、極力、法事や満中陰法要など細かい予定に入れないようにする)

こんな無責任な話ってありますか。とんでもないですよ[パンチ]

係わり合った施主様やご家族の心の支えとなり、信頼関係を築き上げて信仰に導いていくのが僧侶の努めでしょう。それを放棄して葬儀社の意のままに葬儀に奔走する僧侶。

施主様は寺院や僧侶への不信が募る。拙寺にも何件かいらっしゃいましたが「葬儀の寺に突き放された」と憤慨していました[失恋]


その知人は最後に「この地域は圧倒的に真宗系契約が多いです。しかし、貧乏だった寺は見違えるように裕福になります」と言っていました[ぴかぴか(新しい)]

財は力をなしますし、拙寺でも財力があれば多様なことにチャレンジできると感じることもあります。バリアフリーにしたい。景観をよくしたい。本堂の椅子を増やしたい。庭の剪定をしたい。シロアリにやられた土台を修復したい等々。存続自体危ぶまれている寺院も多い。背に腹は代えられないのかもしれません。

しかし、僧侶としての規範律に叶っているか。ここが重要なのです。かねてより葬儀や悪徳葬儀社の問題は当ブログでも書いてきましたが、これは仏教界全体で問題提起すべき内容です。


葬儀屋互助会制度のトリックに注意して契約を(改訂)
http://honyouji.blog.so-net.ne.jp/2011-02-26

高槻広宣寺様が悪徳葬儀社に対してに興味深いブログを発信されています 
http://www.kousennji.jp/blog/

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回天搭乗員 塚本太郎大尉の遺言

以下の遺言は人間魚雷回天で散華した塚本太郎様が出撃前にお父様の経営するスタジオで密かに録音していた肉声を活字におこしたものです。

この録音は靖国神社遊就館と呉大和ミュージアムで拝聴することが出来ます。

過去を現在のものさしで測り、批判することは容易ですが、あまりにも短絡的に感じます。。その時代その時代を懸命に生き抜いた人達の息吹を感じ、その心中を酌み取ることこそ最も大切だと思います。

過去を徹底的に卑下否定して今を生きるのが良いのであれば、我々が懸命に生きているこの時代や人々の営みや育みのことも、将来子孫に葬り去られるかもしれない。あの価値観やあの時代は醜いと言って。

私は決して葬り去ることはしない。先人の徳を永遠に語り続けたい。

父よ、母よ、弟よ、妹よ。そして永い間はぐくんでくれた町よ、学校よ、さようなら。本当にありがとう。こんなわがままなものを、よくもまあ本当にありがとう。 僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ。愉快に勉強し、みんなにうんとご恩返しをしなければならないんだ。 春は春風が都の空におどり、みんなと川辺に遊んだっけ。 夏は氏神様のお祭りだ。神楽ばやしがあふれている。昔はなつかしいよ。 秋になれば、お月見だといってあの崖下に「すすき」を取りにいったね。あそこで、転んだのは誰だったかしら。 雪が降りだすとみんな大喜びで外へ出て雪合戦だ。 昔はなつかしいなあ。こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握りあって――。 然し僕はこんなにも幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。日本人、日本人、自分の中には三千年の間受け継がれてきた先祖の息吹が脈打ってるんだ。鎧兜に身をかため、君の馬前に討死した武士の野辺路の草を彩ったのと同じ、同じ匂いの血潮が流れているんだ。 そして今、怨敵撃つべしとの至尊の詔が下された。十二月八日のあの瞬間から、我々は、我々青年は、余生の全てを祖国に捧ぐべき輝かしき名誉を担ったのだ。人生二十年。余生に費やされるべき精力のすべてをこの決戦の一瞬に捧げよう。怨敵撃襄せよ。おやじの、おじいさんの、ひいおじいさんの血が叫ぶ。血が叫ぶ。全てを乗り越えてただ勝利へ、征くぞ、やるぞ。 年長けし人々よ、我等なき後の守りに、大東亜の建設に、白髪を染め、齢を天に返して健闘せられよ。又幼き者よ、我等の屍をふみ越え銃刃を閃めかして進め。日章旗を翻して前進せよ。 至尊の御命令である。日本人の気概だ。永遠に栄あれ祖国日本。我等今ぞいかん、南の海に北の島に全てをなげうって戦わん。大東亜の天地が呼んでいる。十億の民が希望の瞳で招いている。 みんなさようなら!元気で征きます。
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法事後の清宴にて~ある学会員とのやりとり~

拙僧は法事後の清宴に招かれることも多く、施主様始めそのご家族や親戚との交流を大切にしている。法事では皆が功徳を積むとはいっても、法話・法要と、こちらからの一方的なアプローチになりがちだが、その後の宴会では相互が分かち合いながら時間を共有できる。ましてや若い方との接点が少ない中にあって、そのような機会を見逃すわけにも行かない。実際、その積み重ねによって菩薩団に加入してくださった方もあるので、俄然やる気が出る。
[ビール][バー]もっとも、宴会が大好きなのが一番の理由なのだが。[わーい(嬉しい顔)]

先日、清宴でとある参列者が

「浄土宗は南無阿弥陀仏と唱える。あの世へ生きたい。救ってくれ。そうすると死にたくなる。鬱病になる。だから法華経を修行しないといけない。しかし、身延の修行は狐や蛇を祀っているので畜生になる。本当に仏界を理解している教団は創価学会」だと。

拙寺地域は浄土信仰が盛んな土地なのだ。

この方は法事の度に折伏と称して周りの方を悩ませるのだが、結構人間味があって拙僧のことも可愛がってくださる。数年来の付き合いになるが宴が進むにつれて拙僧と必ず議論になる。

拙僧
「学会は草創期より相互依存で活動してきた大石寺教義も払拭できず、中途半端。しかも過去の教義清算や活動への自己批判も一際しないで、新教義を布教するのはあまりにも無責任。

ここにいる村の浄土宗信徒は仏教のことなど何も知らない。学んだこともない。興味もない。ただ慣習にならって法事に参列しているだけ。貴方だって入信前はそうだったはず。

しかし、ここの人達が貴方の意見に同調してあなたと同じアナウンスを始めたら、正邪の確証もなく人を引き込むことになる。このことに問題意識や宗教的な懐疑心を抱かないと、世間からカルトと言われても仕方ない。

拙僧は日蓮聖人の教義であっても懐疑心も持つし、教団の高僧の発したことでも疑問を主張できます。そういった教団です。でも新宗教はたいていそのような心を抱くこと自体タブー。成功すれば御利益。失敗すれば信仰が足らないと言う。批判的なことを主張すれば堕地獄となる。これでは思考停止ですよ。

貴方は法事の度に日蓮宗の法要に参列しています。邪教僧侶との同座は地獄行きじゃなかったのですか?貴方は本当の本尊は板ではなく心の中にあると言うが、貴方の大先輩方は大石寺の板本尊のみが絶対と称していました。教義改革は方便として必要というなら、狐や蛇だって肯定できますよね。諸天の別勧請は法華経への引入方便なのですから。

身延が狐や蛇を祀っているというのも貴方達は何十年来主張していますが、釈尊を礼拝しているのです。法華経を信仰しているのです。狐や蛇は諸天の眷属であって、本尊にしていません。そこも間違っています。悪口をそのまま意味も分からず発している人が多すぎます。

わたしは貴方にとても愛着を抱いていますし、毎回お会いするのが楽しみ。万が一貴方が先立つようなことがあったら葬儀には絶対に出席します。たとえ学会の友人葬であっても。友情を教団に指図される覚えはないのですから」

昨年は大震災で多くの命が失われた。熱心な信仰を持つものもあったと思う。この期に及んで布教と称し、そのような無責任なことを発する教団は看過できない。

ある高僧が

「世間では天罰や業・因縁といった言葉を悪しき趣旨で発言する人がいる。しかし、そのような言葉は絶対他者に投げかけるべきではない。​自己に自問自答するべき言葉であり問題である」

と説法されたことも伝えた。

最後はその方と再会を誓って握手をして別れた。有意義な清宴であった。

以前ブログに記した内容が埋もれてしまったので再掲します

拙僧ブログ「幸不幸を他者に決めつけられたくない」
http://hokkeji.blog.so-net.ne.jp/2007-04-12

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日蓮宗公式ポータルサイト登録!!!

このたび、日蓮宗ポータルサイトに大津市本要寺の新規HPが掲載されました。従来の本要寺HPと併せてご覧ください。[手(チョキ)]

また、日蓮宗公式ポータルサイトも情報や動画があふれ、非常に魅力的です。作りも良いです。こちらも是非ご覧ください[晴れ]

大津市本要寺(日蓮宗公式ポータルサイト上)
http://temple.nichiren.or.jp/5071024-honyouji/

日蓮宗公式ポータルサイト
http://www.nichiren.or.jp/



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名は大切なものだと思います。

 市町村合併で伝統的な地名が消えることにも違和感を覚えた。未​だに「どこそれ」といった地名も多い。当時、母の郷里栃木県氏家​町や喜連川町も合併して「さくら市」となった。桜が有名だからだ​そうだ。命名に際し両者譲らなかったこともあるのだろうが、残念​だった。
 
 泉佐野市が市名売却の是非が問われている。拙僧は反対だ。伝統​や文化をたやすく商品化するのは現代の縮図。松下ですら、あれだ​けもめて、ようやくパナソニックになった。しかし松下は商業だ。地名は違う​。
 
 兼務する京田辺市法華寺には江戸時代開山上人筆の曼荼羅が格護されているが、そこ​には「山城国綴喜郡大住庄岡村」と今とほとんど変わらない地名が​記されている。それを拝する度に、時代を超えて先師と同じ軸を共​有する喜びを噛みしめている。

日の丸や君が代も然り。御本尊も然り。時代を経て共有している誇りを大切にしたい。
  
 私は名を大切にしたい。名は体を表す。

「妙法蓮華経と申は文にあらず、義にあらず、一経の心なり」 日蓮​聖人『曽谷入道殿御返事』 
本要寺住職 中紙賢孝日梵
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時にはお金を使うことも必要

こんばんは

現在深夜一時過ぎ、夜更かしブログです[目]

[手(チョキ)]只今お彼岸で皆様からお申し込みいただきました卒塔婆をやーーーーっと書き終えました[手(チョキ)]


それはそうと、卒塔婆の語源って知っていますか[exclamation&question]

サンスクリット語のストゥーパの音写なんですよ!!ストゥーパ→そとうば  何となく分かりますよね[決定]

ストゥーパとは仏塔のことを言います。

お釈迦様が亡くなった後、仏様を恋慕渇仰し、その教えを高顕するために仏塔を建立しました。

仏塔を建立することが「修行」であり「功徳」と捉えるのです。

その後、仏教が伝来した日本でも豪族・貴族・大名などの有力者がこぞって五重塔などの仏塔建立を発願し、功徳を積みました。

ただ、これでは民衆には到底手が出せません。民衆がもっと簡単に功徳を積みたい。

こうして登場したのが木板製の卒塔婆なのです[ひらめき]

卒塔婆にはありがたい経文と、亡き精霊の法号を書きます。

日蓮聖人はご遺文の『中興入道御消息』で

「去りぬる幼子の娘御前の十三年に、丈六の卒塔婆をたてて、その面に南無妙法蓮華経の七字を顕しておわしませば、 北風吹けば南海の魚族、その風に当たりて大海の苦をはなれ、東風来たれば西山の鳥鹿、その風に身を触れて畜生道を免れて都卒の内院に生まれん。 況んやかの卒塔婆に隨喜をなし、手を触れ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母もかの卒塔婆の功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母と共に霊山浄土にまいり給わん事、水澄めば月うつり、 鼓を撃てば響きのあるが如しと思召し候え」

と、有り難い文章を残されています。

我々が卒塔婆を建てると、霊界ではとてつもないことが起こるのです。法華経でも「まさに塔を建てて供養すべし」と起塔供養を推奨されています[exclamation×2]

また、日蓮聖人は別のご遺文でも「我々の口から発したお経が金色の仏様となってあの世の精霊を尋ねて救ってくれる」とも仰っています。

目に見えないものへの畏敬の念を失い、物質に執着しがちな昨今ですが、自らの身を削って他者のために尽くし、卒塔婆を建てたり、お花や供物を購入し、時間と労力を使って寺詣り墓参りに行き、大切な命の源である先祖へ感謝の誠を捧げることは決して「損」ではありません。必ず自らに功徳が還ってきますよ。[わーい(嬉しい顔)]

目先では、交通費、供物代、卒塔婆・お布施ect・・・財布からお金がなくなり、折角の休日をレジャーに行きたいし、これだったらこのお金を自分達のために使った方がよっぽど有効的だし「得」なんじゃないか?と考えることが今時自然なのかもしれません。

仏教の教えや供養の意義などを、皆様に伝えきることができていない仏教界や僧侶は真摯に反省し、いっそう精進してその教えを示していく必要があるでしょう。

最近お寺に納骨をのぞむ相談が多く寄せられます。相談者の事情を聞くと

「親が他界したが費用がかかるし、忙しいので葬儀はしなかった。しかし、遺骨を家に置いておくわけにもいかない。墓地を建てるのも大金がいる。永代供養も費用がかかるので、ただ納骨してほしい」

と言うのです。この方は結局、骨を手放したいが投棄するわけにはいかないので、お寺に預けたというお墨付きがほしいんですね。

拙僧は思わず力が入ってしまい、

「お金お金と言うが、あなた結婚式の時にお金を沢山使ったでしょう。おたくの ”出来の良い”子供が成人するとき、やれ貸衣装?やれ晴れ着購入?記念写真?お金を沢山使ったでしょう。自分へのご褒美といって欲しい物を買ったことはありませんか?今回は育ててくださった親の供養。ここにお金を使えませんか?

どうして大切な親の人生の卒業式にお金をかけられないのですか?どうして葬儀にお金を使うことをいけないことと考えるのですか。当然お金はかかりますよ。費用はかかりますよ。でも重恩の親のために使うのですよ。仏教ではそのような行為を惜しむことを「餓鬼の所業」というのです。

お布施に決まりなど無いのだから、本当にお金がなければ、こちらは一生懸命供養もします。でも、あなたはただケチなだけで、金が惜しいだけ」

と言ってしまいました。こういった話はデリケートなんですよね。僧侶が「お金かかって当然」などと発言すると誤解されかねないのです。拙僧はその方の心の有り様を申し上げたのです。

医者に今晩が峠と言われた母が「一生に一度ダイヤの指輪を指にはめたかった」とうわごとを言えば、夜通し宝石店を探してでも指にはめてやろうと感じるのが人としての情であり報恩だと思うのですが、それですら「もったいない」と一蹴される。

明日無き命に大金は叩けないのだから、死人にはなおさらなのでしょう。不孝ですね。まったく。[バッド(下向き矢印)][パンチ]

紹介する法話、是非お読みください。分かりやすいです。
法話「四恩の大切さ」
http://www.rinnou.net/cont_04/rengo/2006-02.html
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