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東日本大震災犠牲者慰霊・葬儀式のご案内

東日本大震災の犠牲者はおそらく数万人規模になると推測されます。多くの方は身元確認も難しく、遺体の埋葬についても火葬に限界があるため、現時点では自治体判断で土葬される場合もあると報道されています。当然の如く、通夜葬儀も執り行われることなく、合同慰霊といった形での供養となるでしょう。
 日本の寺院数は約八万件。この数はコンビニや郵便局より圧倒的に多いのです。
それなら供養対象者は不明でも、全国の寺院で檀信徒様・宗派問わず志のある方に参列していただき、現時点で死亡が確認されている霊位の供養を勤めれば犠牲者への葬儀をサポートできます。

命の尊厳、その延長線上に死者供養があると拙僧は考えます。祈りを通じて敬意を表すことは、現時点で我々にできる支援の一つかと考えます。
 このことを緊急提案として拙僧ツイッターに投稿したところ、多くのご寺院様より共感連帯の動きが見られました。よって本要寺でも下記日時に犠牲者の為の葬儀式を厳修申し上げます。皆様も是非慰霊のためご参列ください。

日時 平成23年3月21日(春分の日)午前11時から

場所 滋賀県大津市長等2ー3-29  日蓮宗本要寺

参加者 志のある方すべて(宗派を問いません)

被災者の安穏、行方不明者の無事祈願、現持点での犠牲者葬儀を勤めます


当日の御供えは全て義援金として寄付します。

駐車場がありませんので公共交通機関を利用するか近隣有料駐車場に駐車願います。    以上

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拙僧はまだまだ人格修行がたりません

スーパーに行ったら三陸産塩もみ生わかめが販売。御宝前に供え供養しようと購入したが手に取った瞬間漁師さんの温もりを感じたような気がした。涙がこぼれた。普段何も思わなかったのに・・・ありがとう

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緊急提言(大震災) 全国のご寺院様へ 

今回、大震災の被害者はおそらく数万人規模になると推測されます。遺体の埋葬については自治体判断で土葬、おそらく合同慰霊となります。勿論通夜葬儀をしてあげることも不可能です。

日本の寺院数はコンビニより多い約八万件。

それなら全ての寺院で、供養対象は不明でも通夜葬儀を厳修しようではありませんか。

各ご寺院の檀信徒様にご列席を願い謹んでご冥福を祈ろうではありませんか!!!

滋賀県大津市日蓮宗本要寺 京都府京田辺市日蓮宗法華寺  住職 中紙賢孝日梵
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東北地方太平洋沖地震

被災されました皆様に対し謹んでお見舞い申し上げますとともに、犠牲者の皆様の成仏をご祈念申し上げます。今こそ自分本位を捨てて身命を惜しまず他者のために祈りましょう。行動しましょう。未曾有の国難に勇気を持って立ち向かいましょう。米国の友人からもメールを頂戴しました。

I miss you and think of you often. We were very sad to hear about the earthquake and tsunami in Japan. We are saying prayers for everyone to be safe and for your wonderful country to recover quickly.
We are sending you big hugs from New York.

世界中の人も日本に向けて祈りを捧げてくださっています。
 
立正安国 南無妙法蓮華経   大津市日蓮宗本要寺住職  中紙賢孝日梵

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葬儀屋互助会制度のトリックに注意して契約を(改訂)

 最近セレマが「互助会に入会し、毎月一定額を支払う事で葬儀が出せる」と、しきりに勧誘していますが、非常に問題が多く、そこには巧みなトリックが隠されています。身近な問題を一部紹介します。

①積立金は祭壇費用にしか運用できない。
②積立金をオトリにして顧客を拘束している。
③遠方の葬儀屋指定僧侶を斡旋してくる。

①② 寺院葬は正式な本堂設備を使用するので、仏様が眼前に見える生花に囲まれた白木祭壇なし(この分だけでも大幅に安価)葬儀に定評だが、互助会に加入していた檀家さんが寺院葬を希望された時、「積立金は祭壇しか利用できない」といってセレマ会館葬を強要された。これでは積立も無意味。他社と比較もできない状況で言われるがまま葬儀費用が膨らんでいきます。結局この檀家さんは解約費用を払って法華寺で葬儀をしました。白木祭壇は再利用なので、「互助会は皆様の為でなくセレマの為に運転資金を積み立てているようなもの」なのです。
 
③ 斡旋僧侶を強要してくる。実際に八幡の方が京都市内の僧侶を斡旋され、自宅から近い法華寺を希望されたにも関わらず担当者が難色を示し、結局自ら電話してこられたのです。
 
 葬儀社から葬儀を紹介され、専属のように葬儀をする僧侶もいるようです。葬儀社と斡旋僧侶との間に何らかの契約があるのでしょう。

 契約には十分注意して、しっかり判断した上でするように。
 
 
拙寺にも、ある葬儀社が来寺し、「会費を月三万円払ったら葬儀を紹介する」と勧誘された事がある。

 また、以前葬儀をサポートするNPO法人から連絡があり、大阪の方でどうしても僧侶寺院が見つからず困っている方がある。生活に困窮していてお布施も少額しか出せない。拙僧はその時東京にいて、法務があったので難しいとお断りしたが、困っていると言われれば行かないはずがない。
 
 新幹線往復と自家用車を使って枕経に伺うと、格別困窮している様子もなかったが、担当葬儀社の男性が「今度はタクシーで来てください」と言う。理由を尋ねると「駐車場所がない」と言う。家の前にだいぶスペースがあるようだがと再度訪ねると「親族が駐車するので僧侶の場所はない。タクシー代は布施に含まれていると思ってくれと」言う。

 お寺からだとかなりメーターが上がるし、困惑するとさすがに喪主が「お迎えに伺いましょうか?」すかさず葬儀社が「それはなさらないで結構です」と言う。喪主から葬儀後の供養やお布施の相談を受けても葬儀社が毎回口を挟む。

初七日まで無事に終わり四十九日に開眼する黒塗位牌の用意を任される。寺院が注文すると割引率が高いので、安価で位牌を作ることが出来る。喪主にも喜んでいただけるだろうと伝える。


東京に戻り、今回の一件が気になったのでより良い葬儀をサポートするというNPO法人を訪ねた。経営コンサルタント会社の一室に事務所がある。

NPO法人担当者曰く
①次回から紹介させていただく場合はお布施の27パーセントを【NPO法人支援寄付金】として頂きたい。
②位牌の斡旋をされたようだが、次回からは遠慮してくれ。
③喪主にはNPO法人が介在していることを伏せておくように。 

 拙僧は「葬儀ビジネスを否定するつもりはないが、他者を欺くような偽善行為は許されない。悪と偽善は偽善の方が罪深い。悪は姿が見えるが、偽善は見えない。位牌だって斡旋じゃない。より安い方が喪主が喜ばれるだろうと提案しただけであって、その葬儀社が位牌の注文を受けたとしても最低ランクの位牌を高額で販売するのではないですか?支援寄付金って・・・聞こえはいいが結局リベートよこせって話でしょう」

「なにがより良い葬儀を支援するだ! 偽善的に見えます」と言って帰ってきた。

 その後、喪主は私が葬儀社関係者だと思っていたので、「一回も関わったことがない葬儀社で云々」経緯と事情を説明した。 驚いた喪主曰く「葬儀社の低価格ありきで話を進めた」そうである。

 葬儀社は「お布施の安い僧侶を紹介できますのでご安心ください」といって葬儀契約をしっかり獲得し、裏では生活に困窮している方がお困りだと言ってNPO法人を使って僧侶を捜していた。
 
そして葬儀社からアンケートを書かされたそうである。「僧侶の爪は清潔だったか?頭髪の長さは?法話の点数?お経の声は良かったか?総合的に良い僧侶だったか悪い僧侶だったか?」

後にそのNPO法人担当者から依頼電話が数回あった。以前関わったことをすっかり忘れているようだ。商品と化した僧侶に対してその場しのぎの対応をしているのだろう。


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言いにくいことだが・・葬儀の布施  信頼関係が何より大切

 僧侶と檀信徒は信仰心も勿論大切だが、何より信頼関係ありきで相互関係が成立する。法施と財施という言葉がある。僧侶が法を説く布施に対し、在家がそれを支援するべく物財を布施するといった関係である。僧侶はあの世のことを見たかのように語るが当の本人はあの世の記憶がない。経説や経験から引用して伝えている。だから「仏飯を食べる」というのだろう。魂入れをするといっても、位牌から位牌に青い炎が移る姿も見えない。霊感商法と紙一重である。だからこそ、高い倫理性と、仏教教理哲学の体得が求められるのである。法を説き続け、病院や学校と同様に檀信徒に必要と感じてもらわねばならない。
 近年は寺と檀家の関係が希薄になった。特に都市部ではその傾向が著しい。拙僧は住職就任より今日まで、常に檀信徒と僧侶が家族のような関係を築いていけるよう心がけてきた。あれから10年が過ぎたが、拙寺ではようやく全てとは言わないまでも、信頼関係を構築することが出来た。お寺にも気軽に立ち寄っていただけるようになった。こちらが様子伺いに急に電話をしても、怪しまれることも少なくなった。
 お寺といえば「坊主丸儲け」や「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といって金銭トラブルがクローズアップされることが多い。結局このトラブルも信頼関係の欠如から起こると思う。良く葬儀の布施相場を尋ねられるが、「寄付行為で寺院が維持されているので、多ければ素直に有り難いです。ただこのような返答ではお困りでしょうし、一年間の運営を考慮するとこれくらい奉納いただくと助かるのは事実です。しかし、お考えもありますでしょうから分相応にご協力いただければ結構です」とお答えする。拙寺は檀信徒に会計報告をしているので、よく理解していただける。
 形無いものへの布施だけに難しいかも知れないが、対価ではない。はじめてのご縁の方には「正直100万円を奉納していただいた時もありましたし、5万円の時もありました。これだけ額に差があっても拙僧の葬儀行為に一切変化はありません。袈裟の色、読経の質や時間、葬儀中の意識、法話、法号等全て金額には左右されません。まったく同じです。当たり前のことです。ただし、なんだ!だったら数万円でも出来るんじゃないか!値切れるんだな!といった考えはしないでくださいね」といって先述の話をする。
 以前生活が苦しいのでほとんど協力できないと言われたが、構わないといって精一杯葬儀をさせていただいた。すると、初七日が終わったら「本当に有り難かった。親戚一同非常に喜んでいる」と言って追加で奉納下さった方がいらした。おしみのない布施。僧侶冥利に尽きるとはこのことだ。収入ではなくその気持ちが嬉しかった。功徳を積ませていただいた。
 これらのことは、全て信頼関係があってこそ成立する。当たり前に安易に戒名料やランクを付けて葬儀をする寺院も多く、施主も煩わしいよりは、そのような淡泊な関係を望み、ギブアンドテイクで物事進んでいるようだが、これは末期症状である。常識は多数派が決定する。合理主義の美名の元、家族葬や直葬、無葬儀、散骨が現状以上に増加し、市民権を得て常識になってしまったら、その時は時既に遅し。あぐらをかいている僧侶が右往左往しても誰も認めてくれないだろう。
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住職雑記 供養のあり方

 墓石カイロが張ってある話を聞いた。無意味と笑う者もあろう。しかし見えない対象への温かい親心である。千の風になってが流行って、お墓を建てるのは非合理的であるような風潮が蔓延してしまったが、合理化の美名の元に「心を養う行為」が失われていく様を情けなく思う。
 最近は散骨を望む者も多いが、宗教的に無執着の発想か?親鸞聖人は顕彰されたくないので遺骨は捨ててくれと遺言した。肥だめに捨てても怒らないだろう。現代人ではどうか。釣り好きで海、山好きで山。結局執着の延長である。日本の国柄には墓地も感性を磨く素晴らしい道場になりうる。塔を建てて供養すべし『法華経神力品』
 墓地不要論者はチベットの鳥葬を引き合いに出すが、彼らは徹底した宗教理解と信仰心に基づいている。日本人にはそれがない。同じものさしで、はかることからして違う。


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お店紹介 東京都板橋区 一力寿司

このブログでお店を紹介するのは初めてだと思います。東京布教所の近くに店を構える「一力寿司」をご紹介します。この店は、東武東上線大山駅から徒歩一分以内の立地で、拙僧が生まれる前から当地にて営業し、近年の不景気の波や、寿司業界の低迷に負けずたくましく営業しています。
 この店、実は小中学校同級生の実家なんです。拙僧も、東京に帰郷した際は息抜きでよく訪れます。寿司屋で飲食など贅沢ですが、東京では普通に何軒も寿司店があり、気軽に食事をすることができます。なにを言っても江戸前の寿司は最高です。関東関西の文化の相違に驚くことも多いのですが、寿司店の有無と親近感は大きな違いかも知れません。

主人曰く、「今は300円で牛丼食えるから、やんなっちゃうよ。ランチで750円。赤だし付き。良く来るお客さんにはネタをアレンジしたりサービスしたりいろいろするんだけど、世間では“高い”になっちゃう」

現代社会は四角四面のマニュアル化された人間関係が寂しく思うことも多いのですが、一力寿司はアナログで人情があって、満足感も味わえる素晴らしい場所です。よろしくお願い申し上げます。

一力寿司

東京都板橋区大山町1-7
03-3956-5237 ~出前もやってます~
11時~14時  17時~01時  月曜定休

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ランチ ちらし  (にぎりもあります)
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昭和天皇陵「武蔵野御陵」参拝

 親友と東京八王子市にある武蔵野御陵に参拝しました。一度訪ねてみたいと思っていた場所でしたが、機会がなくおりましたところ、親友からのお誘いもあり念願叶った次第であります。
 当日は前日の降雨が緑をつややかに際だたせ、心地よい寒さに張り詰めるような静寂、申し分ない参拝となったのです。
 幼き頃父と一緒に行った皇居一般参賀。どよめく歓声の中、昭和天皇がお出ましになり現在と過去が常住している存在感に圧倒されました。
 そして、今回の参拝も同様の感覚を覚えました。御陵は皇居内にも似、伊勢の神宮にも似、ただただ国土への報恩と感謝を願ったのです。私の出身都立板橋高校は当時日教組の影響力が多大で、その一部教員掃きだめのような学校でした。国旗国歌は当然なし、教員は授業休んで組合活動に奔走、授業は公平性を欠く内容。半強制的に保護者へも思想プリント配布。皇族への罵詈雑言などは品位の欠片もありませんでした。
 拙僧は、私自身を育んでくれたこの国と、踏みしめている大地に感謝をすることは親を思い、師を思うも同然と考え、その象徴である国旗国歌にはその深い恩を観じるのですが、教員達は思想の強要と言って強く反発していました。自らの職権を乱用した思想教育を棚に上げて。

 天皇陛下は元首である前に、国の安穏を祈る祭司者であって、国事行為など報道される行事以上に、一年を通じてその宗教的行為に玉体を捧げておいでなのです。そこには「国安かれ、国民豊であれ」と願うのみなのであって、私利の願いはございません。ですから権力ではなく権威なのであって、日本人が古来より大切に思い、礼拝してきたのではないでしょうか。
 建前は除外して、葬式仏教と揶揄される現状でも僧侶はなぜ尊敬されるのでしょうか。拙僧のような若造が尊称で呼ばれ上座に座し、礼拝を受けるのでしょうか。社会にもまれることを拒み、非才故に僧侶を選んだと豪語する世襲僧侶でさえも同様に礼拝を受けるのでしょうか。
 仏教の教義にてらせば種々意見はございますが、日本ではおそらく「朝夕自らの祖先を守り、供養し、檀信徒の安穏を影ながら常に祈念している」と皆様が理解しているからだと思います。チベットや上座部仏教国のそれとは異なると思います。よって、もはや信仰心の欠如した形骸化した仏教にあって未だ僧侶は地位を維持しているのです。
 であるからこそ僧侶は真実・正義を重んじ、偽りなく常に謙虚でなければならないし、誰よりも報恩を理解しなければならないのではないでしょうか。天皇然り国旗国歌の否定など自らの首を絞める所業に映ります。
  
日蓮聖人は四種の恩
【(一)『心地観経』に説く、父母の恩・一切衆生の恩・国王の恩・仏法僧の恩】
をもって、未来の救済、三世にわたる孝養は法華経に極まるとし「必ず四恩をしって知恩報恩をほうずべし」とご教示されました。恩を忘れて修行は成り立たないのです。

フランスでは「子供手当」が成功したと聞きます。西洋では神との契約が未だ有効で、国民は国家を誇りと思い、その国恩に報いる生活を実践しています。

一方日本は、個人の欲求を満たすのみの新宗教、もしくは信仰心の欠如した形骸化仏教がその大半であって、神仏との契約などありません。国民は国家に何の愛情も注ぎません。注いではいけないと教育界では教えてきました。

はたしてこのような国で「子供手当」を支給して成功するのでしょうか。

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